私は、楽観的なほうです。
「まっ、どうにかなるや」という感じで生きています。

上の子が生まれてすぐに、交差点で自転車を停車中に交通事故にあい、車にひかれました。
血だらけで救急車で病院へ搬送され、入院をしました。
医師の診断ミスもあり、長引きました。
なまじ鍼灸師なので医師の診断と自分の身体の違和感との乖離をはじめから分かっていました。
靭帯断裂、骨折、後に残る擦過傷と時間を要しましたが、それでもどうにかなりました。

私の事故のケースにおいて、過失割合(責任の比率)は判例で70対30と決まっていて、気持ち的には私に責任は無いと思っていますが、最終的に3割の責任を負いました。
しかし、加害者を恨んではいません。

当時、私が考えていたことはやるべきこと、今できることをしていこうということでした。
結果は、落ち着くところに落ち着くだろうということです。
何も落ち込んでもいなく、しいて言えば、周りの人に迷惑をかけてしまうのが気がかりでした。

昔からの思考で「どうにかなるや」という感じでしたが、最近思うことがあり言語化、視覚化して整理してみました。

人が進むべき大きな道があったとします。
この道は長い時間をかけて進んできた太い大きな道なので、短時間で大きく曲がることはないと考えます。

生きていくうえでは、得することがあれば損することもあります。
逆に損することがあれば、得することがあります。

楽をしたいと思えば、一方で面倒くさく大変なこともあります。

得することばかり選びながら生きていくとします。
すると、どうなるかというと道から反れていきます。

ただ、目には見えない「ちから」や「現象」が大きな道へ戻してくれます。
このちからや現象は、損をすることによるものです。
道そのものが、その人の歩んできた人生なのでその方向へ収斂していくと考えてもよいかもしれません。

得することばかり考えないで、一歩引いて損することも受け入れるべきだと私は思っています。

脱線します。
損得勘定で結婚を躊躇(ちゅうちょ)する人がいたとします。
いや昨今、多いかなと思います。

もし得だからという理由で結婚相手を選んだとしたら、得することが無くなったり、損することが多ければ離婚してしまうのでしょうか。
悲しすぎます。

結婚は勢いが大切ですし、損得は考えずに好きだからとか一緒にいると楽しいからということで決断してみるのもよいのではないかと思います。
得もあれば損もありますので視点を損得におくと窮屈になります。

現実はそう単純ではないので、私の考えは綺麗ごとかもしれません。
独り言でした…

正しいと思うことをしていても損が続くことはあります。
金銭的に損をしても受け入れなくてはならないことはあります。
身体に傷を負うような損(損傷)もあります。
私の交通事故は、上記に当てはまる損でした。

ただ当時、時間の経過とともに得をするような「ちから」を感じましたし、そうなるだろうと経験則的に思っていたので悲観はしていませんでした。
人の温かさに触れることもできました。

損はいつまでも続きません。
得することやいいことは反作用として、そのうちやって来ます。

まとめます。

とかく、人は損はせずに得をしたい。
デメリットは嫌なので、それにメリットはあるのかと考える。
リスクをとらずにリターンだけをとりたい。
義務を負わずに権利の主張だけはする。
大変なので、楽をしたい。
やりたくないことはせず、やりたいことだけをする。

長い時間でみれば、そう都合よくはいきません。
対になっています。

得が一生続くことはないと思います。
矛盾しているようですが、損を受け入れることにより、得をえられます。
得をえた瞬間、なんらかの損を受け入れないとその人の進んできた道から外れます。

投資の世界ではリターンだけとることは、できません。
必ずリスクを伴います。
株式において、数学的にはむしろリターンより、リスクの方が大きいとされています。

面倒くさくて大変でも、それは成長の糧になりのちのち楽になることもあります。

私は迷って、選択に迫られるような状況ではあまり損得で動かないようにしてきました。
損得で動いても、あまり意味がないと本能的に感じているからです。
では何を基準に動くかと言うと、楽しそうかどうか好奇心に左右されることが多く、また本質的に今までの生き方に反していないかと考え行動しています。
この本質的な生き方こそが私の道となります。

最後に、私はオカルト的なことや宗教に興味はありません。
失敗も数多くありますし、遠回りの人生です。
責任はとれませんし「こんな考え方があるのかなぁ」程度の読み物としてお楽しみ下さい。

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