はじめに
先日、夏休み期間中の息子が、夏休みの宿題を全て終えたと喜んでいました。
鍼灸師には課されるような夏休みの宿題はありませんが、自分で学ぶ必要はあります。
怠けることも大好きな私ですが今回、自分に宿題を課してみました。
鍼灸師の学びには、理論と臨床があります。
難しい漢字だらけの漢文を読みながら進める理論が好きな鍼灸師がいたり、実際の治療をすることが好きな臨床を好む鍼灸師がいます。
理論と臨床(技術)は、両輪だとおもいますのでどちらも大切です。
私はといえば、鍼灸院を開業しているくらいなので臨床のほうが好きな鍼灸師です。
実際に治療をすることが楽しいです。
しかし、ただ鍼や灸をしても効果をだすことができないのが鍼灸の世界です。
やはり、臨床家にも理論は大切となります。
少し専門的になってしまいますが、私の理論をざっくりと紹介します。
私の鍼灸治療は、とにかく「陰陽」を追求する鍼灸治療です。
陰陽が本質だと考えていて、合理的でありかつ治療効果としての再現性が望めると信じているからです。
学校、師匠、所属する勉強会などで誰からと具体的に教えてもらったものではなく、ばらばらのものを何年間も自問自答して自分で築き上げました。
ただ、私が考えていることなので、ある一定の経験を積んだ鍼灸師は意識しているようなことだとおもいます。
また、鍼灸治療にはいろいろな治療法があります。
各流派、各鍼灸師、先生方が独自に築き上げてきたものがあります。
私は、多様性を重視していますのでそちらを尊重しています。
陰陽を追求する
私が専門学校で学んだ教科書『東洋医学概論』8頁に下記のようにあります。
鍼灸医学の理論を体系化するために用いた方法論は、陰陽五行論であった。
鍼灸の理論をひもとくとき、現代人が、まず初めに抵抗を覚えるのもまた、この陰陽五行論である。
しかし鍼灸を臨床で運用し、実際に治療効果をあげるうえで、これ以上に優れた方法論はまだ生みだされていない。
…陰陽五行とまとめているが、もともと陰陽論と五行論とは、別々の理論であった。
(出典)教科書執筆小委員会:『東洋医学概論』医道の日本社、1993年5月20日
教科書なんかを引っぱりだしました。
一般の方が読むと、何のことだかさっぱりだとおもいます。
今回は、自分への宿題なのでご勘弁ください。
分かりにくく、抵抗を覚えてしまう陰陽および五行とあります。
しかし、もともと別々であった陰陽論と五行論ですが、治療効果をあげるうえで、これ以上の優れた方法論はないとあります。
陰陽と五行とありますが、話が複雑になるので「五行」は、少し脇に置いておきます。
実際には、六部定位脈診で脈をとり本治法では『難経』六十九難、五行の考え方に準拠して鍼をしています。
このように五行の考え方も治療で使っています。
『黄帝内経 素問』という書籍の陰陽応象大論編第五にこうあります。
「治病必求於本」(治病必ず本に求む)
病を治療するには、必ず根本(陰陽)を追求する。
治療は陰陽を追求するとあります。
ここで、追求するべき「陰陽」とは何なのかと疑問を持ちます。
実は、私は専門学校に入学した当初から何年間も鍼灸における「陰陽」とはどういうものなのか疑問を抱えていました。
試験に出るような用語としてのものではなく、とても重要で何か根源的なものです。
核心をつく、避ける訳にはいかないようなものだとおもっていました。
講師に質問をしたこともありましたが、明確なものは得られませんでした。
鍼灸師になって数年後、自分なりの解答を得られました。
陰陽は対立する
陰陽は対立するもの、対立する性質があります。
性質といいましたが私は、陰陽は概念だとおもっていますので陰陽そのものが物質的にあるわけではなく、物質として対立はしないと理解しています。
ここで概念としている「陰陽」を目でみることはできません。
『黄帝内経 素問』陰陽離合論篇第六にこうあります。
「天爲陽.地爲陰.日爲陽.月爲陰」
(天は陽と為し、地は陰と為す。日は陽と為し、月は陰と為す)
天を陽と見なし、地を陰と見なす。太陽を陽と見なし、月を陰と見なす。
鍼灸でいう陰陽の対立するものを二つに分けてみました。
この表は国家試験にもでるようなものです。
当時、暗記していました。
鍼灸師となり、あとから重要性に気がつきました。
何カ月も毎日、四六時中、陰陽のことばかりを考えている時期がありました。
あるとき、陰陽そのものは概念ですが、概念であれば陰と陽を別のものに置き換えることができるのではないかと仮定してみました。
別の言い方をすれば、陰陽は対立するものに置き換えて使うものだと仮定しました。
上と下、左と右、末端と中心など。
実際に鍼灸治療を通した検証をつづけ陰陽を、または対立するものを陰陽に置き換えられることに気がつきました。
陰陽を調和させる
対立する陰陽を調和させることが、古典に記されています。
『黄帝内経 素問』眞要大論篇第七十四に陰陽を平衡状態にするとあります。
「謹察陰陽所在而調之.以平爲期」
(謹んで陰陽の所在を察してこれを整え、平を以て期と為す)
慎重に陰陽の気の所在を観察して気を調節し、平衡状態に達することを治療の目的とする。
この平衡状態は、調和ともとれます。
慎重に陰陽を観察して、対立した陰と陽を平衡状態に持っていくことを治療の目的としていきます。
平衡状態を目指すこの治療には、鍼灸師なので鍼と灸を使います。
なお、私の鍼と灸の技法については所属する勉強会や師匠から学んだものがほとんどです。
当時、世の中には凄い人たち(鍼灸師)がいるものだなと毎回、感動していました。
師匠の古野先生の撚鍼法での瀉法にかける時間は、1秒ありませんでした。
撚鍼法とは鍼を刺す手技で、鍼管(しんかん)といわれるストローのような管を使わず、手だけで鍼をする技術です。
臨床的な観点から、治療効果や患者さんへの鍼の刺痛を考慮すると難易度の高い技術でした。
これを三本同時にしたり、左右両方の手で鍼を打つ姿をみることができました。
臨床への応用
ここまで陰陽をとりあえず駆け足で、ざっくりと理論化してきました。
まとめます。
鍼灸治療は、陰陽を追求する。
陰陽は、二つに対立する。
対立したものを調和させることが鍼灸治療となる。
上記をふまえた私の臨床での治療です。
病、症状を抱えると人の身体は何らかの変化があらわれます。
その変化を陰陽に当てはめ、置き換えていきます。
具体的に置き換えたものを鍼と灸を使って、身体を平衡状態へ持っていきます。
では、対立したものを陰陽へと置き換え、平らな平衡状態へと導くような例をいくつか紹介します。
上と下
上半身と下半身とに置き換えることができそうです。
上は頭、下は足とみることができそうです。
なお、医学古典の『黄帝内経 霊枢』經水第十二では下記のようにあります。
「腰以上爲天.腰以下爲地」(腰以上を天と為し、腰以下を地と為す)
人体の腰から上は陽に属し、腰から下は陰に属す。
人間は脳に栄養と酸素を送るために、大量の血液を頭に運びます。
そうすると、必然的に熱が頭に上りやすくなります。
このような状態を「上実下虚(じょうじつかきょ)」といいます。
頭痛などの症状で上実下虚であれば、熱は上にあつまります。
逆に足もとが冷えます。
足に灸をして温めつつ、上半身の熱をとります。
鍼や灸で調和、バランスをとります。
目でみることはできませんが、東洋医学でいうところの「気」についてです。
ここでいう熱や冷えについては、「気」と置き換え理解すると分かりやすくなります。
現代でも熱気や冷気、暑気や寒気という言葉があるかとおもいます。
ちなみに、片頭痛など拍動性の頭痛の場合は、脳の血管が過度に収縮と拡張をしていますので上半身に熱を加えるような治療をすると、症状が悪化することがあります。
頭痛は大まかに緊張型頭痛、片頭痛、群発性頭痛とに分類できますが治療法が異なります。
私は、陰陽を使って治療しています。
左と右
症状があるときの身体は左右に変化がでます。
症状のある方に熱をもつことがあります。
急性期の症状で熱をもったり、炎症していて熱をもつような状態です。
血流、血行の乱れととらえることもできます。
鍼と灸で、その熱を処理します。
反対側の治療で「巨刺(こし)」があります。
『黄帝内経 素問』陰陽應象大論篇第五
「善用鍼者.從陰引陽.從陽引陰.以右治左.以左治右」
(善く鍼を用うる者は、陰より陽を引き、陽より陰を引き、右を以て左を治し、左を以て右 を治す)
巧みに鍼治療をする者は、陰に治療を施して陽を治療し、陽に治療を施して陰を治療する。右に治療を施して左を治療し、左に治療を施して右を治療する。
例えば、片側にでる坐骨神経痛の症状の場合は、左右の脚に温度差が生じることが多いです。
その左右の温度差を整えてあげます。
温度差が無くなってくれば、予後は良好な状態へと向かいます。
坐骨神経痛には巨刺を使っていますが、これも元々は陰陽の考え方です。
正直なところ、はじめから脚の左右の温度差の無い坐骨神経痛は、手こずることがあります。
しかし、このような場合でも身体に何らかの症状や反応がでているので陰陽を使いながら治療していきます。
浮と沈
脈を例にすれば、脈には浮脈と沈脈があります。
脈診で脈状診をします。
浮脈は陽実と陰虚、沈脈は陰実と陽虚に診ることができます。
それぞれに、浅く刺したり、深く刺したりと脈の状態に適した鍼の技法を使い脈を整えます。
浮でもない沈でもない整った脈を「平」といいます。
凸と凹
膨らんだ箇所は、平らにします。
へこんだ箇所も平らにします。
例えば、へこみには灸を使います。
なぜ灸なのかといえば、以前の記事で紹介しましたが、へこみには『黄帝内経 霊枢』の経脈篇に「陷下則灸之」と書いてあるからです。
内側と外側
内側と外側の対立は、複合的に展開します。
五蔵と背部兪穴の対立まで解釈することができます。
ところで、東洋医学や鍼灸の文章は、古い漢文に記載されています。
漢字ばかりで難しく敬遠しがちです。
医学古典や医古文といわれていて、1,000年以上も古い書籍になります。
基礎知識が必要なこともありますが、今の一般の中国人でも読めないと聞いたことがあります。
現代の我々が読むのに苦労する理由の一つに、当時の文献は「訓詁学(くんこがく)」に基づいているということがあります。
訓詁学は『広辞苑』に以下のようにあります。
①経典(けいてん)の訓詁注釈を主とする学。
②漢代および唐代に、経(けい)の意義を解釈した学問。
訓詁学は現代の文章とは異なり、漢字を解釈していく学問なのです。
自分流に解釈して読めればそれでよいというような感じです。
ですので、ところどころ、また微妙に人によって解釈が変わっていく箇所もあります。
漢字の成り立ちがとても重要だったりしますので、白川 静先生の『字統』などは手元に置いておきたい辞書です。
このあたりの考え方は、武藤純一先生から学びました。
ちなみに、古典ができなくても鍼灸師にはなれますし鍼灸治療もできます。
私もよく分からない世界観だったりします。
古典は、道具として使えると重宝します。
また、外国語に例えることができるかもしれませんが、鍼灸師同士で共通の言語のようなものとして深い話ができたりします。
中野区で鍼灸院をしていたときには、同じ会の宮下宗三先生たちと楽しく古典の研究をしていました。
下記に内側と外側に関係する古典の文章を載せておきます。
『黄帝内経 素問』金匱眞言論篇第四
「夫言人之陰陽.則外爲陽.内爲陰.言人身之陰陽.則背爲陽.腹爲陰」
(夫れ人の陰陽を言わば、則ち外陽を為し、内陰を為す。人身の陰陽を言わば、則背陽と為し、腹陰と為す)
人全体を陰陽に分ければ、外側は陽であり、内側は陰である。また背は陽であり、腹は陰である。
『黄帝内経 素問』陰陽離合論篇第六
「外者爲陽.内者爲陰」
(外なる者は陽と為し、内なる者は陰と為す)
外にあるものは陽に属し、内にあるものは陰に属する。
『黄帝内経 霊枢』壽夭剛柔第六
「内有陰陽.外亦有陰陽.在内者.五藏爲陰.六府爲陽.在外者.筋骨爲陰.皮膚爲陽」
(内に陰陽有り、外に亦陰陽有り。内に有る者は、五蔵を陰と為し、六府を陽と為す。外に有る者は、筋骨を陰と為し、皮膚を陽と為す)
体内には陰陽があり、体表にも陰陽がある。体内では五蔵が陰であり、六府は陽である。体表では筋骨が陰であり、皮膚が陽である。
『難経』六十七難
「陰病行陽.陽病行陰」
(陰病は陽に行き、陽病は陰に行く。兪穴→陰病)
陰病の気は陽性の兪穴に行く。
注意すること、気をつけなくてはならないことがあります。
訓詁学という特性上、古典の「あるある」なのですが、現代文になおすと訳者によって文章が変わることがあります。
今回記載した文章も解釈に違いがでることがありますので、お含みおきください。
内が陰で外が陽、五蔵が陰であり六府は陽など。
例えば、身体や症状の見方、とらえ方ができます。
また脈は、陰の脈が蔵、陽の脈が府となります。
脈診の理論や技術論まで展開することができます。
陰病の気は陽性の兪穴にいくとあります。
兪穴は背部兪穴で、背中にあるツボです。
「内臓の症状は、背中のツボで治療する」と村田先生がよくいっていました。
身体の見方や症状のとらえ方だけではなく、ツボのとり方さえ陰陽を使って説明できます。
ツボの見方の一例です。
ツボは左右の経脈上にありますので、左右に一つずつあることが多いものです。
左右のツボは状態が異なり、症状が悪いときに変化としてあらわれます。
この左右の変化を陰陽でとらえることができます。
少し上に位置していたり、下側にあったりします。
浮いていることもあれば、沈んでいることもあります。
凹凸も差があり、硬さも異なります。
督脈上や任脈上などの一つしかないツボでさえも、臍や天柱などを中心に上下左右、内側と外側へと目を向けることができます。
陰陽を使ってツボを探すという視点をもつことだけでも治療への広がりが生まれます。
このように、対立した陰陽を一つひとつ、自分なりに分解して解釈しつつ、臨床に使えそうなものを整理していきました。
ちなみに整理していったものは、ほぼ全てが東洋医学、鍼灸の医学古典に記載されているものです。
おわりに
『黄帝内経 霊枢』病傳第四十二に下記のようにあります。
「明于陰陽.如惑之解.如醉之醒」
(陰陽に明らかなること、惑いの解くるが如く、醉いの醒むるが如し)
陰陽が分かるようになると、難問が解けたようであり、酒の酔いが醒めたように感じる。
鍼灸の根本となる陰陽を理解すると、本当に難問が解けます。
いろいろなものがつながり、すっきりします。
ごちゃごちゃしたいろいろなものが、幹なのか枝葉なのかなど分かります。
はじめての病や症状の治療でも対応することができます。
どうしても、手っ取り早くどこどこに効くツボ、症状別のツボを知りたいところですが、病や症状はたくさんあります。
覚えきれる人もいるかもしれませんが、大変です。
記憶力のよくない私は、覚えきれませんし合理的ではないとおもっています。
そもそもツボは、人によって場所が異なりますし、同じ人でも日によったり体調によって場所が変わります。
ツボの特性上、大きさが違ったり、深さが違ったり、かたさが違ったり、鍼向きのツボ、灸向きのツボ、男性向きのツボ、女性向きのツボなど奥深いものがあります。
話が横道へとそれますが、想い出です。
鍼灸師としてツボを覚えることはとても大事なのですが以前、ある先生から聞かれたツボに対しあまりに答えられない私は「君はツボを忘れすぎている」とお叱りを受けたこともありました。
反省すべき点がありました。
振り返ると、私がツボの数を一番覚えていた時期は、奇穴も含め全部覚えていた国家試験の直前期でした。
なお、鍼灸師として必要な技術はいくつかあるとおもいますが、私の得意な技術は「ツボのとり方」です。
何年間も臨床の中で仮説と検証を繰り返し、身につけた技術です。
私が、臨床で大切にする理論は「陰陽」です。
その使い方は、答えではなく「解き方」なのです。
この解き方が治療法、方法論になっています。
陰陽論について、前掲書『東洋医学概論』にもありました。
実際に治療効果をあげるうえで、これ以上に優れた方法論はまだ生みだされていない。
私は鍼灸師としてまだ途上の段階ですが、これからもこの解き方を追い求めていくことになります。
結果として、病や症状を訴える患者さんに還元できるとおもっています。